可児才蔵
可児才蔵(かに さいぞう、天文 (元号) 天文23年(1554年) - 慶長18年(1613年))は安土桃山時代の武将である。笹の才蔵、または槍の才蔵の異名を持つ。
名は吉長。美濃国 美濃出身と言われ、宝蔵院流槍術の開祖、胤栄 覚禅房胤栄に槍術を学んだ。
仕えた主君のもとを転々としているが、その主君の大半が滅亡している。
才蔵は、1600年の関ヶ原の戦いに福島正則の武将として参戦している。当時の戦では、敵将を討ち取ると、その証として首級を持ち帰るのだが、才蔵の場合、17首というあまりの多さに持ちきれなくなった。そこで、自らが討ち取った証とするべく、敵将の口に青竹の笹を噛ませておいた。
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