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上泉信綱

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上泉信綱
上泉 信綱(かみいずみ のぶつな、永正5年(1508年) - 天正5年1月16日 (旧暦) 1月16日(1577年新暦2月3日)は、戦国時代 (日本) 戦国時代の兵法家。
名字は大胡。通称の姓は上泉、読みはこういずみとも。任官は伊勢守、のち武蔵守。ゆえに通称は上泉伊勢守、または上泉武蔵守となる。本姓は不詳。諱は秀綱、のちに信綱。
現代では上泉伊勢守秀綱ともいわれる。
上野国赤木山麓の上泉城で生まれた信綱は、早くから愛洲陰流の愛洲移香斎に師事し、23歳でその相伝を受ける。さらに様々な刀法を工夫し、新陰流を創出。一時期、長野業正や武田信玄の家臣となるが、永禄6年に新陰流を普及させるため諸国流浪の旅に出る。永禄7年に上洛し、13代将軍足利義輝に兵法を伝授したほか、永禄8年に柳生宗厳に相伝を伝授。山科言継の日記『言継卿記』に上洛の記録あり。その後も数々の高弟に新陰流を伝え、天正5年に没した。

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