児玉就忠
児玉 就忠(こだま なりただ、1507年(永正4年) - 1562年5月31日(永禄5年4月29日 (旧暦) 4月29日))は、毛利氏の家臣。
毛利元就譜代の家臣で、行政手腕に長けていたことから元就に厚く信任を受けた。毛利隆元 隆元の時代に毛利家内の五奉行制が確立された際には、これに名を連ねているが、元就との被官の関係はそのまま置かれ、元就と隆元との連絡役となっていたといわれる。しかし合戦においては不得手であり、軍功を挙げたことは他の家臣と比べ少なかったと言われている。
猛将で毛利水軍を率いていた児玉就方は弟にあたる。
戦国武将 こたま なりたた
Kodama Naritada
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