小早川正平
小早川正平(こばやかわ まさひら 大永3年(1523年) - 天文 (元号) 天文12年4月3日 (旧暦) 4月3日(1543年5月9日))は沼田小早川氏当主。小早川興平の嫡男。弟に平賀隆保、子に小早川繁平がいる。初名は詮平。官位は掃部頭、備後守、美作守。
1526年、父・興平が21歳の若さで没すると、沼田小早川氏の家督をわずか4歳にて相続。当時の芸備地方では尼子氏と大内氏の争いが頻繁に繰り返され、それに巻き込まれた小早川氏は当主の早世と相まって徐々に疲弊し衰退していくこととなる。
1540年、尼子詮久が毛利元就の征伐を目的に吉田郡山城へ侵攻(吉田郡山城の戦い)、小早川正平は大内氏を寝返り尼子氏に通じた。しかし家中の大内派が高山城を占拠、大内義隆から城番が高山城に派遣され当主である正平は大内氏の監視下に置かれるという異常事態になった。
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