陶興房
陶 興房(すえ おきふさ、文明 (元号) 文明7年(1475年) - 天文 (元号) 天文8年4月18日 (旧暦) 4月18日(1539年5月6日))は大内氏の重臣。陶弘護の子で陶興昌・陶晴賢 陶隆房(後の晴賢)の父。出家して道麒(または道鱗)と号した。
陶氏は大内氏の一族であり、代々大内家の重臣として周防国 周防守護代など要職を務めた。
父が不慮の事件で死亡し、兄の陶武護 武護と陶興明 興明が家督争いや大内家の政争などにより早く亡くなったたため、興房が幼くして家督を継ぎ、叔父の陶弘詮が後見した。
興房は大内義隆の父・大内義興の時代から大内氏に仕えて各地を転戦しており、義興に従って上洛して船岡山の戦いに参戦したり、尼子氏との戦いでは大きな軍功を挙げている。
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