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長宗我部信親

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長宗我部信親
長宗我部 信親(ちょうそかべ のぶちか、永禄8年(1565年) - 天正14年12月12日 (旧暦) 12月12日(1587年1月20日))は長宗我部元親の嫡男。母は足利義輝家臣・石谷光政の娘(明智光秀家臣・斎藤利三の義理の妹に当たる)。
 長宗我部氏の次期当主として、幼少期から京より招聘した一流の武芸や教養を身に付けた師によって教育を受けた。これは元親が土佐国の文化教養水準を鑑み、京や諸大名と交渉する上で必要不可欠と考え、これは豪族から勢力を拡大した戦国大名の中では異例の方策であり、元親の外交戦略上における地政学上の配慮とも見える。
 元親の外交戦略において、重要な織田信長と外交関係を結ぶ過程で嫡男の烏帽子親を近隣大名、有力家臣では無く信長に申し出、承諾されると信長の「信」を与えられ長宗我部信親を名乗る事になる。

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