長宗我部盛親
長宗我部 盛親(ちょうそがべ もりちか、天正3年(1575年) - 元和元年5月15日 (旧暦) 5月15日(1615年6月11日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の土佐国大名・武将。
四国の覇者として名高かった長宗我部元親の四男に生まれる。幼名は千熊丸。1586年の戸次川の戦いで兄・長宗我部信親 信親が戦死すると長宗我部氏の後継者となった。四男が家を継ぐことに対して家臣からの反対も多かったが、父・元親はそれらの家臣を処断している。
長宗我部家の家督に決定した後、父・元親とともに小田原征伐、朝鮮出兵で活躍する。1599年5月、父・元親の死去により旧領を相続するが、その翌年に関ヶ原の戦い 関ヶ原の役がおこる。当初、盛親は徳川家康率いる東軍に組しようと考えたが、近江国・水口で西軍に属する長束正家に進路を阻まれてやむなく西軍に組した。
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