中条藤資
中条藤資
中条 藤資(なかじょう ふじすけ、? - 永禄11年(1568年)は、越後国 越後の国人領主中条氏当主。鳥坂城城主。中条定資の子。正室は高梨政盛の娘。中条景資の父。弾正左衛門尉 越前国#越前守 越前守。梅波斎。上杉二十五将の一人。
中条氏は揚北衆三浦氏 三浦党の一族。鎌倉幕府の御家人和田氏の流れである。
父・中条定資の死により、明応3年(1494年)に家督を継いだ。永正4年(1507年)、越後守護代長尾為景が守護上杉房能を急襲し、自刃に追い込んだ(永正の乱)。為景は上杉定実を新守護に担ぎだした。藤資は他の揚北衆の諸氏が反長尾陣営に与する中、為景を支持し、新守護の定実に仕えた。築地忠基、安田実秀と共に反為景側の本庄時長の居城・村上城 本庄城を攻め、これを陥落させる。時長は嫡子・弥次郎を討ち取られ、城を退去した。この功により、定実より奥山庄荒川保のうち上条分を恩賞として与えられている。永正5年(1508年)5月、同じく反為景側である色部昌長の居城・平林城を攻撃して陥落させる。昌長は為景に誓書を出して降伏した。
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