長野具藤
長野具藤(ながのともふじ、天文 (元号) 天文21年(1552年) - 天正4年(1576年))は戦国時代 (日本) 戦国時代の人物。伊勢北畠氏当主北畠具教の次男で長野工藤氏 長野氏当主。長野御所と称された。
1558年、父の具教が長野氏と和睦したとき、父の命によって長野藤定の養嗣子として送り込まれ、長野氏十六代の家督を継承することとなる。1568年、織田信長が侵攻して来ると具藤は徹底抗戦をしようとしたが、同じく抗戦を主張した長野氏一族の細野藤敦と対立して内紛を起こしてしまい、それによって具藤は長野氏における和睦派から北畠氏に追い返されてしまう。そして長野氏は和睦派が主導権を握って信長に降伏し、信長の弟・織田信包を長野氏の当主として迎えたため、具藤は長野氏の当主としての地位を失うこととなってしまった。
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