長野業正
長野 業正(ながの なりまさ、1491年(延徳3年) - 1561年12月28日(永禄4年11月22日 (旧暦) 11月22日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代の武将。上野国箕輪城主。長野憲業の子。本姓は在原氏。祖先は在原業平につながるという。
戦国時代の関東管領・山内上杉氏の家臣として仕えていた。長野氏は上野西部の豪族を取りまとめて『箕輪衆』を結成し、強大な軍事力を持っていた。業正は歴代長野氏の中でも特に武勇に優れた名将で、義理堅い人物であった。主君・上杉憲政が北条氏康に敗れて上野を追われた後も、上杉氏の家臣であることを忘れず、箕輪衆を率いて領国を守った。
1557年から武田信玄が6回にもわたって上野西部に侵攻して来たが、業正はこれを全て、わずかな兵力をもって撃退している。6回全てを信玄自らが指揮を執って攻めてきたわけではないとはいえ、あの精強で知られた武田の軍勢をわずかな兵力で何度も追い返しているのだから、これは凄いと言えるであろう。信玄は、「業正が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆いたと言われている。
(no cache data)
