成富茂安
成富茂安(なりどみしげやす、永禄3年(1560年) - 寛永11年(1634年))は龍造寺氏次いで鍋島氏の家臣。
最初は龍造寺隆信に仕えて軍功を挙げ、隆信から十右衛門の名を与えられて賞された。隆信の死後は鍋島直茂に仕え、島津攻めから朝鮮の役、関ケ原の戦い、大坂の役 大坂の陣のいずれにも従軍し、大きな功を挙げている。
しかし、茂安は軍事よりも内政に長けていた。世が泰平になると、軍事よりも内政が大切と考えた茂安は、水害の防止や新田開発、筑後川の堤防工事や潅漑事業、上水道の建設など、内政に大いなる優秀な手腕を発揮したのである。(「筑後川#開拓と藩政下の治水」の項参照)築城術にも長けており、名古屋城、江戸城築城のいずれにも功がある。
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