畠山義続
畠山義続(はたけやまよしつぐ、永正14年(1517年)? - 天正18年3月12日 (旧暦) 3月12日(1590年4月16日))は能登国 能登の戦国大名。畠山義総の次男。子に畠山義綱・上条政繁。
1545年、父の死で家督を継ぐ。しかし父と違って暗愚で統率力が無く、実権は「畠山七人衆」と呼ばれる重臣たちに握られ、義続は傀儡化されてしまう。しかも七人衆によって家督の譲渡を強要され、1551年に嫡男の義綱に譲って剃髪して出家した。1555年、再起を図った義続は七人衆が互いに主導権をめぐって争っているのを見て挙兵し、家中随一の勢力を誇る温井総貞を討って実権を奪回した。しかし専制的な政治を行なったために再び重臣の反撃を受けて、1566年、子の義綱とともに近江国に追放された。
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