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益田藤兼

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益田藤兼
益田 藤兼(ますだ ふじかね、1529年(享禄2年) - 1597年1月18日(慶長元年12月1日 (旧暦) 12月1日))は、戦国時代の武将。石見国 石見の国人領主益田氏当主。益田尹兼の子。
はじめは周防国 周防の大名大内氏の傘下の国人領主の一人であった。初陣は月山富田城の戦い 第一次月山富田城の戦いといわれる。将軍足利義藤の一字を貰い受け藤兼と名乗った。近隣の国人領主である吉見氏とは対立関係にあり、しばしば争った。
1551年の陶晴賢の謀反のとき、益田氏と陶氏は姻戚関係(晴賢の祖母が益田兼堯の娘)にあったため、晴賢の謀反に協力して大内義隆を自害に追い込んだ(大寧寺の変)。その後、晴賢に重用されたが、1555年の厳島の戦いで晴賢が戦死し、1557年には、毛利元就の侵攻によって大内氏が滅亡すると、元就は義隆を殺した大罪人として藤兼を処刑しようとしたが、吉川元春がその武勇を惜しんで助命したため、本領を安堵され、以後は毛利氏の家臣となった。

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