柳生宗矩
柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の武将、剣術家。徳川将軍家の剣術師範。大和国柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家師範としての江戸柳生の地位を確立した剣豪政治家。
西江院殿前但州太守大通宗活大居士}}
側室:おふじ、おゆり}}
柳生宗冬、列堂義仙}}
大和国柳生の領主で、1565年に上泉信綱から新陰流の印可状を伝えられた剣術家・柳生宗厳(石舟斎)の五男。母は興原助豊の娘である。兄に柳生厳勝、柳生宗章らがいる。少年時代に太閤検地の際の隠田の露見によって父が失領していたが、1594年に父とともに徳川家康に仕えた。1600年の関ヶ原の戦いに功をたて、父の旧領の大和国柳生荘に2000石を与えられる。
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