山中鹿之介
山中鹿之介
『山中幸盛』より : 山中 幸盛(やまなか ゆきもり、天文 (元号) 天文14年8月15日 (旧暦) 8月15日(1545年9月20日)? - 天正5年7月17日 (旧暦) 7月17日(1578年8月20日))は戦国時代 (日本) 戦国時代の山陰地方の武将。出雲国能義郡(現島根県安来市広瀬町)に生まれる。戦国大名尼子氏の家臣。実名は幸盛(ゆきもり)だが、通称の鹿介、鹿之介(しかのすけ)のほうがよく知られる。ただし、講談の類では「鹿之助」とされたため、山中鹿之助なる表記が誤って広まっている。幼名は甚次郎。「”山陰の麒麟児”」の異名を取る。
山中家は尼子氏の庶流にあたり、山中幸久を初代とする。
幼少から尼子氏に仕えた。講談などによると、尼子義久が毛利元就に攻められ、次第に勢力を奪われていく中で、尼子十勇士の1人として活躍したという。
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