山本勘助
山本 勘助(管介)(やまもと かんすけ、生没年不詳(『甲陽軍鑑』によると明応2年(1493年) - 永禄4年9月10日 (旧暦) 9月10日(1561年10月18日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代の武将。諱を晴幸、出家後道鬼斎を称したというが、信憑性は全くない。武田信玄の伝説的軍師として軍談などで有名であるが、近年の研究によると実際は武田軍の伝令将校であったとされている。
山本勘助を軍略と築城に長けた天才肌の軍師として描いた初出の史料は17世紀初頭に成立したと考えられる『甲陽軍鑑』であり、その後もそのイメージが江戸時代の軍記物に引き継がれて現在に至っている。ただし、この名前自体が長くその他の資料での所見が無く、その存在が疑問視されていた。昭和44年(1969年)発見の『市川文書』にてようやくその存在が確認されたが、それでも甲陽軍鑑に描かれるような軍師ではなく、伝令将校のような役割を果たす人物であった(とはいえ、それなりの力量と識見がなければ務まらない役割であることもまた事実であり、『甲陽軍鑑』の原著者が彼のこうした役割を承知の上でイメージを膨らませた可能性は十分に考えられる)。本稿では『甲陽軍鑑』の記述に基づき構成するが、厳密に扱えばフィクションの登場人物の項目に記載されるべき人物と言えるかもしれない。
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