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結城政朝
結城 政朝(ゆうき まさとも、文明 (元号) 文明11年(1479年) - 天文 (元号) 天文16年(1547年))は下総国の戦国大名。結城氏 下総結城氏第十五代目の当主。結城氏広の子。結城政直・結城政勝 政勝・小山高朝の父。妻は宇都宮成綱の娘。
父が二歳のときに死没したため、わずか三歳で家督を相続する。しかし政朝が幼少であることをいいことに、実権は重臣の多賀谷和泉守に握られ、その専横を許すことになってしまった。
だが、成人した政朝は多賀谷和泉守を一気に誅殺し、実権を奪回したのである。そして結城氏の家中を取りまとめ、結城氏を戦国大名として脱皮することにも成功した。さらに領土拡大政策を積極的に行ない、宇都宮氏と猿山で戦って大勝し、下野国 下野にまでその勢威を拡大したのである。
結城政朝 (白河氏)
結城 政朝(ゆうき まさとも、永享12年(1440年)頃? - 永正7年(1510年)?)は、室町時代後期の武将で、白河結城氏8代当主。結城直朝 (白河氏) 結城直朝の嫡男で、結城顕頼、那須資永の父。別名は義永。弾正少弼。室は小峰直親の娘。
父の直朝とともに白河結城氏の最盛期を築き上げ、南奥州や北関東に権威を振るった。
1470年に相馬氏、1474年に岩城氏と同盟し、1484年には石川氏の一族を取り込んだ。1489年には伊達氏 伊達・蘆名氏 蘆名・小山氏 小山・結城氏 下総結城氏と連合して佐竹氏と争った。
しかし、1510年に有力支族の小峰氏と対立して、当主小峰朝脩を自害させ、その後朝脩の父小峰直常 直常(政重)に攻められ那須へ逃亡し、行方不明となった(永正の変)。この内紛により、白河氏の勢力は衰退することになる。政朝は直常の追っ手によって殺されたとも言われている。
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