龍造寺隆信
龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ、享禄2年2月15日 (旧暦) 2月15日(1529年3月24日) - 天正12年3月24日 (旧暦) 3月24日(1584年5月4日))は肥前国の戦国大名。五州太守の称を好んで用い、世に肥前の熊といわれた。還俗前は「円月坊」、還俗後は「胤信」を名乗る。正式な名のりは藤原隆信(ふじわら・の・たかのぶ)。
龍造寺家兼の曾孫に当たる。幼少期は仏門にあったが、1545年に、祖父・龍造寺家純と父・龍造寺周家が、主君の少弐氏に対する謀反のため少弐氏重臣の馬場頼周によって誅殺されると、隆信は曽祖父に連れられて筑後国の蒲池氏の下へ脱出。翌年、蒲池鑑盛の援助を受けて家兼が挙兵して龍造寺氏は再興したが、その後すぐに家兼は病のために亡くなった。このとき、家兼は隆信の器量をすでに見抜いていたため、還俗して水ケ江龍造寺氏を継ぐようにと遺言を残している。還俗後は「龍造寺胤信」と名乗る。
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