渡辺勘兵衛
『渡辺了』より : 渡辺 了(わたなべ さとる、永禄5年(1562年)-寛永17年(1640年))は安土桃山時代から江戸時代の武士である。通称は勘兵衛(かんべえ)で、「渡辺勘兵衛」の名で有名。名は初め「吉光」と伝わる。近江国浅井郡の土豪、渡辺右京の子として生まれ、同族の渡辺任の養子となったようである。子に渡辺宗。睡庵(水庵)。
初め浅井氏麾下の将阿閉貞征家臣。のちに「槍の勘兵衛」と称されるように槍の名手であり、摂津吹田城攻めで一番首を挙げ、織田信長から直接称賛されたほどで、阿閉家の精鋭であった母衣衆の一人であったが、後に辞して天正10年(1582年)ごろより豊臣秀吉 羽柴秀吉に仕え、2000石の扶持をもって、秀吉の養子である羽柴秀勝付きとなった。山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いでも活躍し、石田三成家臣の杉江勘兵衛、田中吉政家臣の辻勘兵衛と並んで「三勘兵衛」と評されたものの、1585年に秀勝が没してしまうと、それに伴い浪人する。
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